すずめ書店

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【閲覧注意】身の毛がよだつ怖い絵本「おともだちできた?」の考察

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 こんにちは、すずめです。「おともだちできた?」という絵本をご存知でしょうか。知らない方がこのタイトルを見ると「入学・入園の絵本かな?」と思うかもしれません。でもこの絵本、そんなほのぼのしたお話ではなく、思いっきりホラー絵本なんです。

 でも、ただ恐怖を煽るだけのお話ではありません。読み終わったあと、「えっ、それで女の子はどうなったの?」と放り出されたような気持ちになる絵本です。

 本記事では、「おともだちできた?」の展開や内容、ラストシーンの意味や女の子がどうなったのかについて、詳しく考察しています。読んだものの意味がわからなかった、納得がいかないという方は、ぜひ読んでみてください。

注意:この記事では「死」や「殺人」などについて触れています。そういった話が苦手な方はブラウザバックをおすすめします。

こんな人向けの記事

・「おともだちできた?」を読んで意味がわからなかった

・女の子がどうなったのか気になる

 

絵本「おともだちできた?」について

おともだち できた? (講談社の創作絵本)

 「おともだちできた?」は、2017年に講談社より出版された絵本です。作者は小説などを多く出版している作家の恩田陸、絵は石井聖岳が担当しています。

賛否両論ある絵本

 この絵本の評価はまっぷたつに分かれます。容赦無くホラーが描かれているのがいいという感想がある一方で、わざわざ子どもも見る絵本にする意味がないという否定的な意見もあります。

 正直、そのどちらの意見も納得できます。この絵本、とにかく怖すぎるんです。全体を流れる陰鬱な空気ももちろんですが、あるページが意図的に怖く描かれていて(読んだことがある方ならすぐどのページかわかりますよね)、絵本とは思えない怖さです。

 そのため、絵本だからと生半可なホラーを想像していると痛い目をみます。まさにわたしがそうでした。本当に怖い絵本なんだと知った上で購入すれば、納得できる作品なのではないかと思います。

トラウマ必至……子どもに見せるかは慎重に判断して

 「夏だから怖い話でも読み聞かせしようかな?」というような軽い気持ちで手に取るのは絶対におすすめできません。なぜなら、上述した「怖い場面」が本当に怖く、子どものトラウマになりかねないからです。

 わたし自身も軽い気持ちで絵本を開き、後悔しました。読んだのは昼間だったのですが、その夜は本気でトイレに行けなかったです。それどころか次の日の昼間ですら怖い場面の残像がちらついて、ずっとびくびくしながら生活していました。

 わたしはこの絵本を図書館で借りたのですが、記事を書くためにまだ手元にあるのが落ち着かないくらいです。はやくこの記事を書き終えて返却してしまいたい……と思っています……。

怖い話が好きならおすすめ

 読んだことを後悔したわたしと反対に、怖い話が好きな夫には好評でした。図書館から借りてきたこの絵本を読み、「こわ!」「おもしろい」「これほしい」と言っていました……絶対に嫌!と却下しましたが。

考察の前に……

考察を始める前に、注意事項や初読の印象について触れておきます。考察の前提となる点です。

注意事項

 本記事の考察はあくまで個人の考えでしかなく、絵本の正解を決めつけるものではありません。いろんな読み方ができるうちのひとつの考え方にすぎないことをご了承ください。

 また、今回の記事は「おともだちできた?」の絵本を読んだことがある方に向けて書いています。そのため、物語の展開や内容についてかなりしっかり触れています。ネタバレを気にする方は、先に絵本を読んでから見るようにしてください。

 考察にあたって一部作中の言葉を引用していますが、画像などは一切載せていません。絵や本文と参照した方がわかりやすい部分も多くありますので、手元に絵本がある方はそれを開きながら読むのをおすすめします

初読時の印象

 はじめに読んだときに「こういうことかな?」と思った物語の流れは、こんな感じです。

・なんとなく気付いていたおばけの存在を認識し、お友達になった。

・いっしょに遊んでいたら自分もおばけになってしまった。(ラストで連れて行かれている)

 でも何度も読み返すにつれて、これでは辻褄があわないところがたくさんあることに気がつきました。そこで仮説を立てて、それに合致するかどうかを考察することにしました。

考察:女の子は殺されているという仮説

 ここからは、女の子が作中で殺されてしまったのではないかという仮説を元に考察していきます。

 いや、子どもも読む絵本なのにそんなはずがない……と思う方も多いと思うのですが、絵本の描写や奇妙な点をすべて照らし合わせるとこれ以外に考えられないのです。ここからはどの描写がそれを裏付けるのか、ひとつずつ解説していきます。

殺されたのは背後から影が忍び寄るシーン?

 もし女の子が殺されているという仮説が正しいとしたら、殺されたのは背後から赤みがかった影が忍び寄るシーンだと思っています。殺されたであろうシーンの前後を細かく見てみると、以下のように展開しています。

①ひとりで土遊びをしている

②背後から赤い影が忍び寄る(殺されたと予想)

③「となりのいぬは よくほえます」自宅(夕方)

④「うん」自宅(夜)

⑤「できたよ」恐怖を煽る女の子の笑顔

 「できたよ」で初めて笑顔を見せた女の子は、そのあとたくさんの幽霊の友達と共に、楽しく毎日を過ごしています。でも、これまで見えなかった幽霊が前触れなく見えるようになるのは不自然です。その前にきっかけとなるできごとがあったと考えらえます。

 すると、きっかけはその直前に起こったできごと、②の忍び寄る影以外にありません。では、忍び寄る影が何をして、幽霊と遊べるようになったのか……とそこまで考えると、もう女の子も幽霊になってしまったとしか考えられなくなります。

 ちなみに、③と④で犬が吠えているのはおそらく幽霊になって帰ってきた女の子に対してです。なぜなら、最初におばさんに「おともだちできた?」と聞かれている時点では、犬は大人しく眠っていて吠えてなどいないからです。

 帰ってきて吠えられた女の子は、吠えられているのが自分が幽霊になったせいだとは気付かずに、「となりの犬はよく吠える子なんだな」と思ったのではないでしょうか。そして家にたくさんいた幽霊と交流し、友達になったことで「うん」「できたよ」と続くのだと思います。

そもそもなぜ女の子に友達ができないのか

 タイトルでもある「おともだちできた?」という言葉を、女の子は大人たちから何度も言われます。引っ越してきた先で友達ができるかどうかは、大人にとって心配なポイントですもんね。でも、女の子に友達ができる気配は一向にありません。

 そもそも、あの絵本には主人公の女の子以外の子どもが一切描かれていないのにお気付きでしょうか。でも、友達がなかなかできない孤独を描くのなら、仲良く遊んでいる子どもたちを遠巻きに眺める描写を描いた方がわかりやすいですよね。

 にもかかわらず一切子どもが出てこないのは、この家の近所には子どもが全くいないからではないかと考えられます。ではなぜ子どもがいないのか。住宅街にもかかわらず同世代の子どもが全くいないのは、あまりに不自然ですよね?

他の子どもたちもみんな殺されてしまった?

 そこで、もしかすると他の子どもたちもみんな殺されてしまったのではないかという仮説が立ちます。突拍子も無いことを言ってるようにも思えますが、これには根拠が2つあります。

幽霊の量が多すぎる

 引っ越してきたときから、女の子のまわりには幽霊のような不気味なもやが描かれています。女の子に「ともだち」ができてからはもやの顔がはっきりしてきて、あれが幽霊だったのがはっきりわかります。

 にしてもあの量、やけに多すぎると思いませんか?

 女の子と遊ぶということは、あの幽霊たちもあの子と近い年齢なのではないかと思います。ちょうど、生きていたら女の子と友達になれるくらいの年齢です。

 あのあたりに住んでいた同じくらいの年齢の子がみんな殺されていると考えると、幽霊の友達があんなにたくさんできたのも納得できます。

女の子が殺されたのは子どもの死体が埋まる場所?

 ここで、赤い影が忍び寄ってきた場所を思い出してください。土の地面が広がっており、草や花が乱雑に生えています。はじめ見たときは畑のような印象を受けました。土を掘り起こしたようなあとがあったからです。

 でも実際、作物が埋まっているような整い方はしていません。では女の子が掘り起こしたのかというと、それもしっくりきません。よく見ると女の子は花をつんでいて、スコップなどで遊んでいるわけではないからです。

 ではなぜ掘り起こしたような跡があるのかと考えたときに、そこに子どもの死体が埋まっているという可能性が浮上します。もちろん、それだけでは証拠として不十分です。でも、絵にわざわざ描く必要があったということは、そこに何か意味があるはずです。

 加えて言うならば、草の生え方も気になります。均等に生え散らかっているのではなく、女の子のいる画面中央部に、雑草や花が集中しています。ここに何か栄養が多いのかな……なんて思ってしまうのは考えすぎでしょうか。

両親は女の子が帰って来ずに憔悴している

 友達が「できたよ」の直後、憔悴しきった様子のママが描かれています。その肩にはたくさんの幽霊が描かれているので、最初に読んだときは「取り憑かれて生気を抜かれたのかな」と思いました。

 でも、次のページで描かれているのは、泣いているママに寄り添うパパです。元気をなくしたママを励ましているような姿勢ですが、パパ自身も悲しみを感じているように思えます。

 では何を悲しんでいるのかというと、女の子が帰ってこないこと以外になさそうです。夜になっても帰ってこず、憔悴する母親、「大丈夫だよ」と声をかけるが自分も辛い父親……という構図です。

家の中で遊んでいる女の子が見えない両親

 女の子があの時点で死んでいると考えられるのは、両親が女の子の存在を認識していないように描かれているからです。

 本文には「ママは みえないみたいだけど」とありますが、これは幽霊だけでなく、女の子のことも見えていないという意味だと思います。幽霊になって帰ってきた女の子に気付けたのは、本文でも書かれているとおり、となりの犬だけです。

 ぐったりした二人とは裏腹に、女の子はこれまでになく楽しそうに、笑顔で幽霊たちと遊んでいます。死を境に両親と女の子の感情が入れ替わるのが、なんとも印象的です。

砂遊びしている場所は自分の死体が埋まっている場所?

 幽霊と毎日楽しく遊ぶようになった女の子は、ラストシーンで土遊びをしています。あえて土遊びしているシーンを最後に選んだのにもなにか理由がある気がしてなりません。

 もしかするとここは、女の子が殺されるときにいた場所で、そこには女の子本人の死体が埋まっているのかもしれません。そう考えると、やけにふっくら盛られた土や、集まってきた虫の説明がつくと思いませんか?

 本当にここに死体が埋まっているのであれば、両親はまだ女の子の死を知らず、行方不明の状態であると考えられます。

最後のページの意味

 この絵本の中で唯一明るい色彩で描かれているのが、裏表紙をめくった最後のページです。青空の中を笑顔の幽霊が飛んでいて、その幽霊に手を引かれた女の子もにっこり笑っています。

 この描写から見ても、女の子が幽霊と同じサイドにいるのがわかります。初読時はこのシーンで女の子が連れて行かれたのかなと思いましたが、そうではなく、友達になった時点で幽霊と同じ立場になったのでしょう。

なぜここだけが明るい色彩なのか

 純粋な疑問として、ラストとなるこのページだけがなぜこんなに明るく描かれているのかが気になります。これはわたしの推測ですが、この明るさが女の子から見た世界で、わずかな希望となる部分として描かれたのではないかと思います。

 人間の立場から見ると、あの町は薄暗くて不気味で、居心地の悪い場所でした。でも女の子は今、「まいにち たのしい」のです。両親が悲しんでいても、町の雰囲気が暗いままでも、友達ができた女の子は幸せなのです。それを表しているのが、あの明るい空なのだと考えられます。

 正直わたしは、この展開から少しも幸せを感じられません。でも主体となる女の子にとっては幸福であるのなら、それはある意味でハッピーエンドなのかもしれません。

さいごに

 この作品を読んで怖い思いをして、「もやもやした部分を考察したら恐怖心が薄まるかな?」と思い考察記事を書いたのですが、怖くなくなるどころか怖い時間が伸びただけでした……。

 でも裏を返せば、何度読んでも恐怖を感じられる、ホラー絵本としてかなりクオリティの高い作品です。ホラーが好きな方や、夏に怖い話で盛り上がりたい方など、ゾッとする恐怖を求めている方にぴったりですので、ぜひ読んでみてくださいね。

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